人生の身仕舞2013/03/13 13:13

二日連続で顎が外れた叔母は、結局家に帰らず
装具をつける必要のある1週間、入れる病院をなんとか
探してもらい入院しました。が、2日後病院から連絡があり
「夜に徘徊されるので安全の面が不安です。退院して下さい。」と
連絡があり4日で病院を出なければならなくなりました。

その後、ラッキーなことにデイサービスでお世話になっている
施設のショートステイに空きがでてお世話になることに。

そして、ショートステイを出た後どうするかが大きな問題になりました。
自宅に帰り、デイサービスとヘルパーさんに入ってもらうのを
併用し、一人暮らしを続けるか、施設を探して入居するか。

叔母はきっと自分の生まれ育った家に帰って、そこを終の棲家に
したかっただろうと思います。でも、これから先何かあるごとに
1時間以上の時間をかけて駆け付けることは、私達にとっても
大きな負担であることを考えて、無花果の街の介護付き老人ホームに
来てもらう事にしました。

面接の日。
「こんな知らんとこで暮されへん。買い物行くにも店もわからん。」と
何度も何度も繰り返した後、ショートステイ先に帰るまで
ずっと泣いていました。

そうだよね。その通りだよね。
これでよかったのか、ずーっと重苦しい気持ちが続いています。

自分もいつかこの道を歩むのか・・・。
なんて孤独で寂しいんだろうって。

入居までには、まだまだいろんな事が起こりそうです。
無事に入居できたら、せめてちょくちょく顔を見に行こうと
思っています。

人生の身仕舞、考えないと、考え続けないといけない事だけど
本当に寂しくて辛い事。
もう、遠い遠い未来の事じゃない歳になりました。

家に帰りたい2006/03/12 20:31

今日は息子といっしょにお見舞いへ。 3人部屋の病室に入ると、寝巻きではなく入院の時着ていた服に 着替えたおばあちゃんがベッドの上にちょこんと座っているでは ありませんか。ベッドの下には靴が・・・。その横には荷物が まとめて置いてあるのです。 「私、家に帰るから連れて帰って」 「え~~~っ!」 「どこも悪いことないのに、こんなとこにいてたら病気なるわ。 ご飯も昨日から食べてないし・・・」

入院の経過はとっくの昔に忘れているし、2日前から食事が再開したことも 忘れてしまっているのですよね。 今日もどことなくだるそうだし、咳も出ているので、どこかしんどいところは ないか聞いてみるけれど、「しんどい」なんて言おうものなら 家に帰れないって、本能的にわかっているおばあちゃんは絶対 しんどいと言いません。「どっこも痛くないし、しんどいこともない」の 一点張り。

今日、咳が出ることを看護士さんに話して、検査の様子も尋ねてみると 2日前にエコーを、明日は朝からCTをするそうです。 1時からの面談の時にその結果を聞かせてもらえるのだと思います。

おばあちゃんの入院2006/03/12 04:51

義母が入院しました。 この冬、めっきり足が弱くなりました。 尿失禁に加え便失禁が始まりました。 やっと入ってくれるようになったディサービスのお風呂、 入浴後にフラフラすると言うことがありました。 念のため病院で血液検査をしてもらうと、重度の貧血で、 大きな病院を受診するように言われました。そして即入院。 高齢者の貧血は消化器などからの出血の場合があるということで、 入院の翌日に胃の内視鏡検査を。結果は進行胃癌でした。 痛みもなく食欲もあったので、誰もが予想していない結果に驚きました。

医師からは癌の大きさから考えて、転移があっても不思議でないこと、 年齢的、体力的に手術、化学療法共に厳しいことを伝えられ 家族に判断をゆだねられました。 兄夫婦と私達は、積極的治療はせず、自宅でターミナルケアをすることを 選択しましたが、亡くなった姉の子供達、その他の親戚・・、みんな おばあちゃんへの思いがあり、少しずつ考えが違うようなのです。 主人まで「あの主治医の説明は少し不親切すぎた。あの時は動揺していて きちんと質問することができなかった」と言い出すし・・・。 人一人の命の問題なのだから、当たり前と言えば当たり前ですよね。

月曜日、主治医に時間をとってもらい、ターミナルケアをするに当たって、 協力していただきたい事項を確認するつもりでいたのですが、 その時に姉の子供達にも同席してもらい、納得できるまで話を聞いて もらおうと思っています。

ガスを止める・・・2005/10/22 14:51

今日は朝からダンナの実家のガスの工事。 義母の認知症が少しずつ進んで来た時に、近所の皆さんにその事を お話し、何かあればすぐ教えて欲しいとお願いしました。 皆さん快く話しを聞いてくれましたが、ほとんどの人に言われたのは 「ガスはどうしてるの?火の元は大丈夫」というお言葉でした。 食事は月~土までの昼と夜は糖尿食のお弁当をお願いしています。朝もヘルパーさんが簡単に作ってくれたりしてくれていましたが、満腹中枢が少し壊れてしまった義母は、数少なくなった料理のレパートリー・・インスタントラーメン、インスタントのカレーうどん、卵焼き、お好み焼きを、朝ごはんだったり、お昼のお弁当が来るのを忘れてお昼前に食べたりするようになったのです。 防火の面からと、義母の健康の面から、ヘルパーさんと相談して、ガスの 元栓を今までと違うところ・・・つまり、義母のわからない場所につける事にしました。うちの場合は玄関の外につけてもらい、ヘルパーさんに管理してもらいます。とりあえず月曜日から、ヘルパーさんが帰るお昼前にガスがでなくなります。義母が駆け込みそうな所には事情をお話し、私のところに電話するように言ってもらうよう頼んできました。 引き取ることも、施設に入れることも認知症を悪化させることになるだろうと いうことで、いろんな人の力を借りて、できるかぎり今の状態でがんばろうと 思っています。

どうなっちゃうんだろ2005/10/11 21:07

義母は5年ほど前から認知症の症状が出始めました。 しっかり、きっちり、てきぱきの人だったので、「まさか、 うちのおばあちゃんに限って・・」の想いが強く、誰も母が 認知症だと気づきませんでした。 義母は今でも、ヘルパーさん達の力をかりて一人暮らしをしています。 無花果の町に家を建てた時、ダンナは義母の部屋を作り、同居しようと しました。でも、義母は今の家から離れたがりませんでした。 認知症が少しずつ進んで来ると、今度は無理やりにでも うちに連れて帰ると宣言し、今年のお正月に試験的に連れて帰りました。 結果は散々。結局すべて私任せで、義母と向き合って話すこともしない。 お正月早々、私はブチ切れ、ダンナは現実の厳しさを身をもって知ったの でした。 最近はお風呂にはいらず、家の中は尿失禁のすごい臭いがしています。 お風呂に入ってもらおうと、ヘルパーさんともいろんな手を使いましたが 効果なし。食べたことも忘れるようになり、着替えもしなくなりました。 気遣いのあった言葉も、時に、棘棘したきついものになって来ました。 世間様の言うことは気にしないって心に決めても、時々聞こえてくる言葉に 動揺してしまいます。ゆっくりだけど、確実に壊れていくおばあちゃん・・・。 ケアマネさんにもヘルパーさんにも「まだまだこれからですよ!」って 言われています。 年を取るって悲しい・・・。でも、おばあちゃんはいろんな意味で 「如何に老いるか」という問題提起をしてくれています。 答えはわからない。でも、今をどう生きるかが、老後の自分を 左右するのかな・・・って、うっすら感じている今日この頃です。